ふじやの歴史

― ふじやの創業 ―

ゆば屋を始めましたのは明治の初年でもう百二十年ほどの歴史がございます。

『ふじや』そのものは二百五十年ほど続いておりまして、ゆば屋を始める前は、雑穀を扱ったり、瀬戸物を扱ったりといろいろ商売替えをしておりました。

― 日光湯波の始まり ―

奈良・平安時代に仏教の広がりとともに京都から日光に伝わったと言われています。

当時日光には勝道上人の開山以来、八百ほどの坊ができ、一万数千人の僧侶が居住しており、そのお坊さんたちの精進食としてゆばも盛んに作られ、何軒かの門前のゆば屋さんから納められたと言われています。

ゆばはもともと中国でお坊さんが考え出した大豆から作る精進食で、日本の留学僧がその技術を学んで持ち帰り、それが京で用いられ仏教とともに日光に伝わったもので、日光ゆばも千年以上の長い歴史がございます。


二社一寺(東照宮・二荒山神社・輪王寺)、その東照宮の春と秋の例大祭のお供えのお膳にもゆばが使われ、日光ゆばは神社とも関わりがございます。

― ゆばやを始めたきっかけ ―


そのころゆば屋さんだったお店が料理屋に転業するというので、うちでそれをゆずり受けて始めました。


― 日光湯波の特徴 ―


日光ではあげるとき金串を使いますが、細い串を薄皮の中央に入れてすくい上げますので、串から両側にたれ下がったゆばがくっついて一枚となります。

従って二枚分の厚さになり両面とも表ということになります。京都では竹串を使い、皮のはじのほうをつまんであげますので、重ならずに一枚で表と裏ができます。
ですから、日光ゆばは京都ゆばより倍の厚さになっております。